無事です。
家族も、家も大きな被害はなく(食器の一つも割れていなかったことにびっくり)、身近な人々とその家族も皆無事のようです。


地震が起こったとき、新宿駅小田急線ホームに降りるエレベータの中に居ました。B2Fまでおりたかったのに、途中でエレベータの電気が消えてB1Fで扉が開いて、全てのボタンが反応しなくなり、女性の声で何かのアナウンスが。
あたしはいつも通りイヤホンで音楽を聴いていたので一瞬なんのことかわからず、エレベータ故障かと思って仕方なくB1で降りたところ、駅のホームと停車中の電車がグラッグラ揺れていました。おお!地震だ!と思ってとりあえず近くの壁に寄って頭上を気にしながら揺れが治まるのを待っていました。
かなり長く、体感にして3分近く揺れたように思います。
周りの人も意外に冷静で、悲鳴を上げるような人はいなかったです。
揺れが治まったのでこのまま電車に乗ろうかと思っていたところで、改札外に出てください、とアナウンスが入ったので、西口地下広場へ出て、とりあえず手持ちのお金が全くなかったのでATMでお金を下ろしました。もしかしたらタクシーで移動するかも、と思って。
地上に出ると、駅に向かって続々と集まった人が、電車が動いていないことを知ってまた続々と駅から出てくるので、人の流れが渦のようになっていました。
昨日は代々木上原で本番があり母と妹もその手伝いで既にホールに行っていたので、とりあえず家族と合流するためにも代々木上原まで移動しよう、と携帯のナビを片手に歩き出しました。その時点でもう電話は通じず、でもメールが数分おきに数通ずつ届いていたので、家族と彼の無事は確認できてひと安心。
甲州街道を初台方面に向けて歩いていたのですが、途中で立ち並ぶビルから人が逃げ出してきます。一度、大きな余震があったときは左右のビルがぐわんぐわんと揺れ、人がどんどん道の中央分離帯に逃げて人垣ができていました。酒屋さんの床は割れたビンで埋め尽くされ、周囲にワインの匂いが満ちていました。
途中、コンビニで携帯の電池式充電器と水を購入。
ドレスの入ったカートを持っていたのですが、いざというときのために貴重品だけを手持ちのバッグに移してさらに歩きました。
出掛けに迷った結果、ぺたんこのボアブーツをチョイスしたことを数時間前の自分に感謝。
オペラシティあたりに差し掛かるとかなりの人が同じ方向に歩いていました。


商店街に入ると人はぐんと少なくなり、ときどき、子どもを迎えに行く途中であろう若いお母さんたちがママチャリですれ違っては無事なことを確認しあっていました。


ホールに着くとほとんどの出演者はもう集まっていて皆怪我もない様子。あたしはロビーのテレビで初めて震源地近辺の津波の映像を見ました。リアルタイムで水が家や田畑や車を軽々と押し流す映像には絶句。


本番を決行するかどうかはわからないながらも、とりあえずできることはやろうとリハーサルや本番の準備をしました。まだ到着していなかった出演者やスタッフも方々から徒歩で集まってきました。六本木から1時間半、恵比寿から2時間、日比谷から・・・等々。
本番スタート時間になってももちろんお客さんはひとりも来られませんが、30分経ったころにそれでも来てくださった方が3人(うちひとりはあたしの彼でした)。
出演者も遠方の1人を除いて全員会場に集まれたので、1時間遅れで本番をスタート。
正直、これが今自分にできる最善のことなのか?こんなことをしてていいのか?と変に落ち着かない気持ちでしたが、出演者全員必死で集中力を高めて、出来うる最高の演奏ができたと思います。


終演後、電車はまだほぼ運休状態のため、残れるメンバーでご飯を食べているうちに、3時間前ぐらいに家を出て迎えにきてくれた父の車が到着。
私母妹と彼、中野在住のKさんでぎゅうぎゅう状態、道は大渋滞ながらも、徒歩で帰宅される沢山の人たちにくらべてなんて有り難いことだろう、と思いを噛み締めながら日付の変わった頃に無事帰宅できました。
家の中はびっくりするぐらいにそのまま。多少、家具の位置がずれていたり、箪笥の引き出しが開いていたり、と揺れがあったことを意識するような箇所はありましたが。
ネコのチビがすっかり怯えた様子で柱の陰からちっとも出てこようとしなかったところが、一番地震の影響を感じた部分でした。


被災地の犠牲者の方々、身近な方を亡くされた方、帰宅難民として心細い夜を過ごされた方、皆さんに心からお見舞いを申し上げます。
これ以上の被害がなるべく少なく済みますように。そして1日も早い復興が実現できますように。
Pray for Japan.